意見を述べる
意見を述べること、これがただ単に思ったこと、感じたことだけを述べるというのであるのは、とても幼稚なことなんではないか。
言いたいことだけを言う。
ここにコミュニケーションは生まれないな。
本音を言い合うことがめずらしい環境であれば、「言いたいことを言う」ことすら新鮮なので、さもちゃんとしたコミュニケーションをとっているように思ってしまうことがあるかもしれないが、それはそもそも当たり前の、話すことにおいて基本となることであって、それを主眼にすることがそもそも幼稚なことなんだろうな。
「ホンネ」と「タテマエ」の国ですからねぇ。
その分別自体が悲しい。
では幼稚ではない意見とは?
相手がどのような状況や環境でものを言っているか理解、せめて想像した意見。
自分が伝える意見に目的意識を持っていること。この意見を伝えることで現実がどう変わってほしいかを伝えられる意見。
提案に対しては常に提案で答える意見。否定の意見というのは相手を感情的にさせるだけでマイナスだよね。その提案の意図を理解して別の提案で回答することは礼儀かもしれない。
ただしこういった道徳的な意見の有用性というものは、場面において限定されているぐらいで考えていたい。