亡命はなぜ難しいのか?を読んで

週末に選挙が行われるためか、

久々にツイッターで色々と情報を見ていると、

なんだかなぁ

ため息つきたくなるばかりのような、

いや、ため息まだまだしも、

情けなさや怒りを覚えるものもあったりしますが、

ともかく最近ポリタスの記事を読んだりしています。

 

今日、國分功一郎さんの素晴らしい記事を読みました。

【総選挙2014】亡命はなぜ難しいのか?
http://politas.jp/articles/237

ここでは手塚治虫のマンガ「アドルフに告ぐ」に掲載されている、

あるユダヤ人家族が亡命をしようとする時のリアルな姿を引用し、

亡命するために必要な現実への認識の難しさについて書かれています。

ここには、亡命という行為の難しさがこの上ないリアリティをもって描かれている。最終的な破局が起こってからでは亡命することはできない。最終的な破局の後では、人は殺されたり、あるいは難民になったりする。つまり亡命するためには、まだ最終的な破局は起きておらず、日常生活が続いている段階で、危機の訪れを予期し、それを実感をもって感じ取り、その実感をもとにして極めて複雑な手続きと準備を滞りなくすませなければならない。

なんとなくおかしくなっているらしい日常、

だけどまだまだ変わらない、変わっていない。

大丈夫、これからも変わらないよ。なんて思っていると、

ある時突然その「亡命すべき事態の当事者」になっている自らに気づく。

 

すげー怖っ。

亡命への決断には、もちろんそうならない可能性だってあります。

というかそれをみんな希望的観測で動いているのですが、

当事者になった時、それが誤りであったことは、

その「亡命できない」事態でしか証明されないのですから。

これは災害の避難への意識とも近いものなのかもしれません。

 

はたして今回の選挙はこのような「亡命への意識」を促される事態かどうか、

個人個人で判断するしかありません。

 

國分さんも書いているように、

私たちはまだ、辛うじて、

「投票する権利を与えられた者たちの意見を、議員選出という形で集約して政治の場に届ける」

という原則に守られている社会にいます。

 

投票という行動が、ここまで個人個人に覚悟と想像力を求めた選挙もないかもしれませんね。

せめて一抹の希望をもって。

恐怖だけに包まれないように行動したいと思います。

 

 

こっちもおすすめです。大学生の話が分かりやすいw

【総選挙2014】投票に行けと大人はいうけれど……
http://politas.jp/articles/269

 

 

とりえあず、だれかに投票行けといいたくなったら、これを参照。

「違う候補者に入れた者同士は、敵ではありません。」たしかに当たり前のこと!
http://politas.jp/articles/271