自由貿易を批判するだけでなく

昨日まで三日にわたって

自由貿易を共・公・私の観点から読む箇所をメモしてきました。

これまで、なんとなく、ぼんやりと把握していた現代的な問題が、

過去から継続されてきたコミュニティや公平性を、

損なう方向性に向きながら働いていている構造というものが見えてきました。

 

もっとも特に共・公というものは、

ある意味自由貿易による被害者的立場の意見・見方とも言えるわけですから、

自由貿易がはたしてきた現代への役割や恩恵というものも

もう一方に忘れずに把握しておかなければ、

魅力のある未来は描けないだろうと思います。

 

こうしたグローバルなインターネット・ネットワークだけでなく、

人やモノの移動が全世界を舞台に繋がって、

他国の様々なモノたちがより身近に手に入れれることや

あらゆるモノや情報の多様性と広がった選択肢などは

自由貿易が生み出した大変大きな功績だとも思います。

 

(僕はこうしてこれらの功績にあずかって生活しています。

大好きなコーヒーなどはまさにこの自由貿易に至る近代・現代の象徴のようなものですし、

その役割がさらにコミュニティなど人を繋ぐ方向に広がっている傾向は面白いです。)

 

そうした魅力と欠陥の多い自由貿易のどの部分をそぎ落とし、変革し、

どの部分を継承、発展して未来につなげていくのか、

その見極めと、コントロールする役割の正当性が難しい問題だなぁと感じています。

 

『グローバル定常型社会』は二〇〇ページちょいぐらいの本なのですが、

興味を惹く箇所は多々ありますので、

引き続き気になった箇所などをメモしていきます。