知識の継承を阻むもの
知識の継承というものが必要だと考える時、
なにによってそれは絶たれてしまうのか?とすると、
「大災害・大戦争・大虐殺」
が思い浮かびます。
こうした事態によって、
知識の継承に必要な人材、
知識を伝えるための育成システム、
書物など継承に必要な記録などが喪失してしまうと
立て直すことは大変困難だろうと想像します。
太平洋戦争によって、
日本には大正時代生まれの無数の若い人たちが亡くなられ、
また多くの都市部でそれまでの風景を作ってきた無数の建物が
焼き払われてしまいました。
この戦争被害による世代の「穴」が大変大きかったのではないか
ということを内田樹さんの「街場の戦場論」に書かれていましたが、
事実戦後の日本と、戦前の日本が
まるで別の国のように異なってしまったと感じざるを得ないところには
戦前の知識の継承(建物それ自体も知識の集積ですし)が
数多く途絶えてしまったことのように感じます。
また、こうした継承に必要な全ての要素が
いっぺんに失われる事柄ではなくとも、
人材・育成システム・記録など
ひとつひとつが緩やかに、
だんだんと失われてゆく状況というのも恐ろしいものです。
地域の多様性を洗い流してしまう商業的グローバリゼーションは
そのように緩やかに地域に残る知識の価値それ自体を低下させていきました。
地域の多様性を残すことは、
その土地や暮らす人々の歴史的知識を継承することに他ならないと思います。