#028: 伝えたいことについて

#028: 伝えたいことについて

『未来の世界を想像するチャンネル』について、自分なりにテーマというようなことを、
もう一回ちゃんと伝える機会にしてもいいかな、というふうに思って、
そんな話をしようかなと思います。

未来の世界を想像するチャンネルについて

そもそもこの、「未来の世界を創造する」っていうチャンネルができたのは、
僕という人間が、「未来の世界を想像し、表現する人」というこのフレーズにおいて、
ちゃんと自分の中でフィットするような、
他の言葉で言うと、居心地を合わせるとか、腹落ちさせるとか、居つくとか、身になじませるとか、
そういった形のような、
ちゃんとこの言葉が自分の人間として、
この世界に生き住む、人間として打ち出すフレーズ、言葉なんだということを、
自分でね、しっかりとこう、受け止めるために、始まったというところが、
本当に一番最初だったりしてます。

というのも、それまで話してきたように、
未来の世界っていうものをどんどんずっとイメージをしてきたんだけども、
こういうふうな形で声に出して、人に伝える
誰かが聞いてもらえる形にして残す、ということを、やれてこなかったところがあったので
そこをね、頑張ってやってみよう、と。

いろんなところになって、それとともに、そのフレーズだよね。
「未来の世界を創造し表現する人」という、
これをちゃんと表現していけるような人間であろう、
というところから始まっているところがあります。

不慣れさと原稿を用意しないこと

というところで、まだ僕の中では正直、
どうこれが聞いてくれる人に伝わっているんだろうとか、
これを聞いてどういうふうなことを感じたり思ったりしてくれる人がいるんだろうか。
どうなんだろうか、
そういったところも全然わからない感じのまま、続けさせていただいていて
聞きづらいところがいっぱいあるかなと思いながら。

しかも、まずは毎日こうやって番組を収録して、
ちゃんとお伝えする形にして出す。

で、まあテーマは最低限設定した上で、でも話しながら、
思いついたことをその場その場で紡いでいく形にしていて。

言葉が出ないこととか、うまく喋れないことを、
もっと本当は、いろんなパターンとかいろんな例を用いて組み立てて、
原稿を用意してやっていけば、相手にとっては聞きやすいことになるかもしれないな。
そうなんだろうな、と思ったりしながらも、
あえてそれをしなかった、ことはありました。

で、まだまだ慣れない部分はあるんだけども、
これからも少しずつその自分が、その言葉にちゃんと居着くっていうところから、

ちゃんと聞いてくれている方が、どういうふうに聞いてもらえるか。
あとはこの 1 回の収録とか番組を聞いた中で、
どういうふうな気づきを持ってもらえるものになるのか。
そういったメッセージがどういった形で形にして、番組の中に入れることができるのか。

そういったことを少しずつ意識しながら、
今後も続けて、今後はまたもっと続けていきたいな、というふうに、
ちょっと今日思ったりしました。

その余裕があるのかないのか、わからない日々が続くかもしれないけども。
少しずつ変化をしながら、この番組はまだまだ続けていきたいなと思っています。

未来の世界を描くときに大事にしていること

で、こういったこととお話ししたいことと、あとあったのは、
この番組で言えば、大事にしていること。

何を僕は未来の世界を描くときに大事にしているのか、っていうこともね、
自分で振り返りながら見つけていきたいなと思ったりします。

原稿がないまま思ったことを思いつきで喋っているので、
おそらく聞き直したときに自分の中で、言い淀みながらも、
ちょっとだけ口調が変わりながら、

「これはちょっと自分の中で伝えたいことだ」
「ちょっとここは自分の中で、腹のほうに力を入れて話そうとしているものだ」

っていうものが、何かしら少し出てきたりはするんだよね。

それは一体何なのかっていうことをキャッチできて、
それをね、もう少しちゃんと言葉として拾って言語化して、

一つ一つの番組で明確にしながら伝えていきたい、
っていうふうにも感じたりしています。

人間の役割のイメージ

いろんな要素を話しながらバラバラにいくんだけども、
基本的なところは、インスピレーションを受けた 3 つの本っていうのはあるんだけども。

一番最初の最初に、人間が未来の世界にどういうふうに設定された役割として生きているか
その役割を受け止めて受け入れて、人間が自分たちの暮らしを楽しく享受しながら、
人生を享受しながらも、なおかつ使命感を持って、
地球や自然に対して、動植物に対してアプローチができる。

そういうふうな成熟した人間の世界であったり、地球の姿、
っていうことが、とても僕の中で大事であって。
そこをいろいろいろいろな角度から、
どういうふうな世界に僕らは行きたいのか。

今の現代だと問題が、問題ばかりと言ってもいいかもしれないし。
あらゆることが問題化していて、未来はなかなか見えないものかもしれないし。
もしくは極端に分かれてきて、テクノロジー、IT とか AI とか、
そちらのほうに行くばかりの VR の世界であるとか、そっちのほうと。

全く反対の自然のほう。自然派のほうで物を作るとか、コミュニティ。
そういった暮らしの中で人と人が仲間として暮らしていく、っていう
両極端になりがちなところなんだけど
僕は両方とも好きな人間なので、どっちを取るとかではない。

なので極論ではないんだけども、でも取りたいところはいっぱい全部取って、
欲張っちゃっていいと思うんだよね、未来を描くときに。

「これはできてこれはダメ」とかっていうふうな選択はしないで、
あえて現実の中にそれができるのかできないのかとか、
そういったことも一旦、あえて脇に置いといて。

「こうありたい」「こういうふうな世界に暮らしたい」。

こういう未来が 200 年という、自分たちの孫の孫の、もっと孫の、
第六、第七、そのような先の世界の世代に対して、
そういう世界で生きてきてほしい、生きていてほしい。
なんかそういった未来のメッセージのようなイメージっていうものが、
いろんなところから湧き出てくるといいのかな、と思ったりはしているんですね。

僕もそれをやりたいし、それをやることによって、
今できるかできないか、っていう話でもなく。
今始めようとする、しないっていうわけでもなく。

そういうところを一つ頭の上にあることによって、
現実の世界で選ぶ選択肢とか、見える情報とかも変わってくるんじゃないかなと思ったりするし、
そこで一人一人が少しずつ変わっていく、変化を起こすことによって、
よりもっとより良い未来っていうものが、人間にとってはまだまだ可能だし。

まだまだいけるんだ、っていうか。
可能性や残された時間だって十分だ、っていうことだよね。

そういうのを、なんか伝えたい。
伝えたいというか、表現できるようになるといいのかなと思ったりもしてますね。