#024: 未来のコミュニティ・地域社会圏主義より

『未来の世界を想像するチャンネル』#022,023と、地域社会圏主義という本を題材にしながら、
コミュニティのあり方、住居のあり方、そのあたりをイメージしてきました。
今日も引き続き、この地域社会圏主義という本を題材にしながら、
そういったコミュニティの住宅のあり方というところを想像していきたいなと思っています。

僕がこの番組のほうで、題材に使う本との向き合い方、
本にしても、あとは前、ビルにたくさんの食物がつけられている垂直庭園(#021)のような、
そういった話もしたりしたんですけど、

何かを題材にするとき、自分の中にあるのは、その、題材にした本とか、要素をちょっと刺激を受けながら、
200年後にある、ありたい未来、こういう未来に、こういう未来だといいなというようなイメージを、いくらかでも、よりくっきりと見えるようになるような、そんなことができればなと思って、いろんな題材を紹介したり、話題にしたりしています。

他の番組でもお話しした、スパイラル・ダイナミクスというのも、その一つかなと思っています。
人間の自我の発達度合いというものが、モデルになったものなんですけれども、

あれも、そういった一つの大きいマップというか、地図、そういったところを見たときに、
未来の世界にいて、住んで、暮らしている人たちの在り方というものをイメージするときに、
ああいう要素というのが、とても役に立つなというふうに感じたりしています。

そういった流れで、今日は地域社会圏主義のテーマのほうに、参考にしながら話そうかなと思ったりしています。といっても、この地域社会圏主義のほうは、わりかし、現代社会についてアンチテーゼというか、今の社会はこうだからそれじゃない、違う在り方ってなんだろうという提案のところも兼ねているので、そういったところを加味しながら見ていきたいなと思ったりします。

4―「一住宅=一家族」は究極の消費単位である。それを前提として国家的な成長経済戦略が組み立てられている。「地域社会圏」は単なる消費単位ではない。その地域の内側で小さな経済圏が成り立つように計画されている。(P007, 『地域社会圏主義』INAX出版 以下同)

これは前、別の回(#007)でお話したんですけども、
eumoという、武井さんという方と、たきさわたいへいさんが話していたトークを聞いた後にシェアした話にも繋がるかなと思うんですけど、
ああいった地域通貨を運用されている人たちの話にも、通じる世界の在り方だなというふうに思います。
eumoにおいても大事なのは、そのコミュニティの中でしっかりと経済圏が成立されていること。

その中で暮らす人たちがそれぞれのニーズ、何が欲しくて何が求めているか、
最低限の生活的なニーズとか文化的なニーズ、
そういったものが、そのコミュニティの中でちゃんと流通していることがあって、初めて成り立つんだというふうな話があったかなと思います。逆にそれがないと、通貨が外に行ってしまって流れてしまう。
地域の中で循環しなくなってしまうと。
それによって地域の中で貧富の差というか、ばらつきが生まれてしまうと。

そうならないためにも地域の中で循環していく、経済が循環していくというふうなことが大切だというふうな話があったかなと思うので、ここで書かれている地域社会圏によっても、
まさに地域の内側で小さな経済圏が成立するように計画されているというのは、
同じ世界観を見ているのだというふうに感じます。

ここからまた僕の想像にはなるんだけど、
200年ぐらいの世界のコミュニティのあり方って通貨ってどうなっているのかなと思ったりするんですよね。
まだ全然結論は出ないんだけど、逆にインフラとか生活にどうしても必要なもの、
むしろ人が生きていくに必要なものに関しては、
その地域の中で通貨という単位は、
必要とされなくなっているようなイメージはあるのかなというふうに思います。

それぞれが欲しいものをお互いに交換し合う、
そういったやりとりっていうのは頻繁に行われているだろうなと思うんだけども、それに何かしら通貨という形っていうのは、どのあたりまで必要になるんだろうな、どのあたりから必要じゃなくなる交流になっていくんだろうな、というふうにも感じます。

一方未来でも、それぞれのコミュニティ別、いろんなコミュニティとか地域、住んでいる人っていうのは、
地域にいろんなところをばらけている感じがあるので、その違う場所に住む人たちとの交流、
そういったところにはまだまだ、通貨のような交換単位、その土地にしか手に入れられないものとか、
特産品とか、そういったものっていうのは、より特徴が出てくるし、

それによって何か貴重品が一方に集中されてしまって、土地が枯渇とか、そういうことはならないようにデザインがしている世界であるといいなと、未来では思うんだけどね。
でも、それぞれの特産品とか、その場所でしか生み出されないものというのは、
しっかりと他と流通するときに、何かしらの単位というものは払っていいのかなと思ったりもします。


あとエネルギーの話がありますね。

5―「一住宅=一家族」に供給されるエネルギーはすべて外側から来る。住宅は単にエネルギーの消費単位である。「地域社会圏」はここでエネルギーを生産し、それを効率良く利用する。単なる消費単位ではない。(P007)

例えば僕は東京に住んでいるんですが、東京に住んでいる時も電気とかエネルギー、ガスとか、そういったもの、それこそ311の時に大きな影響があった原発とか、そういったエネルギーというのは、
都市の中で作られているものではなく、都市の外から、地方の方から、
いわばその土地を犠牲にされて、エネルギーがこっちまで届いてきている。
そういったことにもなっている。いわば外部から来ている。
そうではなく、地域社会圏においても、エネルギー自体を生産し、それを効率よく利用する、単なる消費単位ではないというふうにも書かれています。

ここも言えば、経済圏だけではなく、エネルギーそのものが、そのコミュニティ、住宅、複数の人間が住んで暮らすその中において、エネルギーもそこで生み出され、そこで消費される、そこで循環されていく。そういったものがうまく回っている。
というのがとてもいいイメージだなと思います。

同時に、一人一人が使われるエネルギーの総量というものも、今の時代ほどは必要にはならない。
むしろ、よりわずかなエネルギーで、より豊かにというかね、そういうふうになっていると、むしろになるというふうに感じたりもします。