#009: エンディングビレッジ対話会

週末に八ヶ岳のほうに行ってきました。(収録時)

で、昨日ですね、ちょっと面白いお話し会、対話の会があって、
そのことで、この僕のイメージする未来と近しいもの、いくつかキーワードみたいな形で、
今日はお話ししようかなと思います。

エンディングヴィレッジ構想

まずその前に、昨日あったお話し会の内容なんですけど、
八ヶ岳のほうにですね、「エンディングヴィレッジ」という構想があって。

このエンディングヴィレッジっていうのは何かというと、
人がこの世に生まれて、死ぬ、という——誰もが死を迎えるわけだけど、
その死を迎えるときに、いかにしっかりと自分の“生”に向き合って、
安心して、死を迎えられる時を過ごせるか。

それも、一人ではなく、多くの仲間であったり、人々の中で迎えながら、
暮らしていく、そして死を迎える。
そういうところだね。

もとは、統合医療の河嶋明先生が最初に提唱されたらしいんですけど、
今はキブツのたきさわたいへいさんがメインになって、
この構想を八ヶ岳のほうに作ろうとしているそうです。(天下泰平2 カテゴリ:エンディングビレッジ

実際、このエンディングヴィレッジがどれぐらいの大きさの構想になっていくのか、
いろいろ土地の取得とか、今年になって動いてきているらしくて、
昨日の対話では、土地の取得までが終わって、
じゃあこれからどういうふうに、このエンディングヴィレッジを作っていこうか、構想していこうか、

未来のあり方、未来の自分たちが、
「こういうビジョンのもとで、住んでいけたらいいよね」
というところから、思い思いにアイデアが出てきた、
そんな対話の回でした。

出てきたキーワードの紹介

で、どういうキーワードが出てきたのかというと。
昨日の会の中で、一番みんなの関心が高そうだったのが、やっぱり医療。

死を迎える、というテーマがあるので、
医療のあり方はすごい大きなテーマだったんですね。

その中で出てきた話が、まず「見取り」。
見取りをいかにコミュニティでしっかり受け取っていくか、ということ。

あとは「医食同源」であるとか、「自らを癒す」。
“私が私を癒す”という体制がしっかりしていること。

それから、ハーブとか薬草とか、
そういう場所や設備がしっかりと用意されていて、
研究や栽培が行われているような環境があるといいよね、という話もありました。

それから「波動的な周波数」。
周波数を用いた共振・共鳴によって医療や癒しが行われるイメージ。
それが人だけじゃなくて、動植物にも広がっている。

家畜というか、動物たちも未来にはそこにいて、
彼らも癒しの輪に参加している——
そんなイメージも語られていました。

で、もう一つ大事だったのが、
やっぱり外科的な医療も必要だよね、ということ。

こういうコミュニティだと、代替医療とか統合医療、
どちらかというとそっちに寄りがちではあるんだけど、
西洋医学が発展させてきた外科的医療というものは、
やっぱり必要な場面があるわけで、
そこはちゃんと残していく必要がある。そんな話も出ていました。

それから、体や心の悩みを、
「今こういう状態なんだけど……」と気軽に相談できる場所。

小さな診療所というか、
医療センターというほどではないけど、
身近に相談できる場所があるといいよね、という話。

施設に関しては、「教育の場」ですね。

いわば、子どもたちが、よりよく自由に、今の教育の体制とはまた違って、
どんな子どもたちでも受け入れることができるような、
より、「教育」という言葉の定義が、すごく広いような感じなのかなと思います。

意識の教育という形で、意識として自分たちがちゃんとしっかり発達していく。
そのための足がかりとしての「瞑想」というようなお話がありましたね。

いわば、相反する者同士が統合しあって、
どういうふうに進んでいくのか。

僕の描く未来とも、すごく一緒だなと思ったのが、
「歴史を内包して先に進む」というイメージのところのお話があったところでした。

いわば、僕らはこうやって、いろんな文化、歴史を経て、
今の2025年という時代にいるんだけれども、
これまでのこの歴史を、ちゃんと無視するのではなく、
しっかりと内包した上で先に進む、というこの意識。

これはすごく大事だなと僕も思うので、
それが話の中に出てきたところは、すごく共感を感じたりもしました。

あとは、住まいのお話で言えば、
けっこうセルフビルドとか、ゲルとか、あとはドームハウスだよね、
そういうふうなお話があったりとか。

さらに、それも「セルフビルド」というところで、
住まいの形態自体、大きさとか、そういったものが可変的で、
自由にカスタマイズしやすい。

拡張したり、小さくしたり、というふうなものが自由に、
メンテナンスも含めて、できやすいというのが大事だね、というお話であるとか。

あとは、どんな食料倉庫とか、そういったところでも、
いろいろ大変なことがあると思うんだけども、

「どんな天候でも、安心して食料が自給できるようなインフラをつくる」。
そういった設備とか、というのも、すごく大事だな、というお話がありましたね。

それに伴って、
「種」とか「発酵」、あとは「水の整備」とか、
水力発電とかもそうだろうけど、
そういったエネルギーの扱い方。

あとは、エネルギーをどういうふうに地域、コミュニティ内で回していくか、
巡回させていくか。

いかに、そのコミュニティ内で巡回できるようなインフラをつくっていくか。
このあたりも、すごく大切だよね、という話が出ていました。

あとは、「温泉」とかっていう話もありましたし、
薬草園とかレメディーとか、
もちろん「自然出産」、そういったものもありましたね。

あとはアーユルヴェーダ?、デトックスできるような環境。
そういったものもあったし、
体の内側・外側のケアが、暮らしの一部としてちゃんとある。
そういうイメージが、いろいろ語られていました。

あとは、「思いっきり声を出せる場所」。

笑い声とか、そういった声を思いっきり出せる場所って、
現代にはなかなかないよね、っていう話もあって。

カラオケで声を思いっきり出すぐらいで、
それでようやくできる、ぐらいなのかなと思うんだけど、

こうやって広いところで、しっかりと声が出せる、
思いっきり声を出せる場所って、
とっても大切だな、と思ったりもしましたね。

あと、そうだね。印象的な話があったのが、
たいへいさんが言われていた、
「所有を手放す」という話。

権利を手放す仕組み。

所有権とか、そういったものを、このコミュニティの中では、
ちょっと手放すようなものができればいいな、というところが、
将来的なビジョンとして話されていました。

そのために、コミュニティの中でどうしても必要になるようなルールとか指標。

そういったものの「落としどころ」っていうのが、
現実的には大切になってくるんだろうけども、というところですね。

この「所有を手放す」っていうところは、
僕の中の未来にも、とても大切なポイントだなと思っています。

かといって、すべての所有がなくなる、ということでもなくて。

あまりにも何もなかったり、
自分が安心・安全でなかったりすると、
所有していないことによる恐ろしさとか、怖さとか、不安とか、
そういったものって、けっこう出てくると思うので。

そこがすでに満たされていた上で、

自分が大切にしたいもの。
自分がこの手に入れておきたいもの、身につけておきたいものとかね。
宝物とかも、一人ひとりが自分のために大切にするもの。

それに対しては、所有はしっかりと持つべきだし、
大事にしたい。

でも、それ以外のところで、
共有しながらシェアできるものに対しては、
みんなと共有していく。

そういうところが大事になってくるのかな、と思ったりもします。

以上が、昨日のエンディングヴィレッジの対話会で出てきたキーワードでした。