#008: 道について
(収録中)八ヶ岳に来ているんですけど、
とても景色がいいところで。
八ヶ岳の南麓のほうから、こう、ずーっと下に下っていって、
富士山が見える、段々畑のようなところです。
空気がとても澄んでいるし、風がね、とても気持ちよくて。
雲の隙間から太陽がきれいに差し込んでいるので、
そんな中でちょっと喋ろうかなと思いました。
喋ろうかなと思ったのが、「道」についてです。
今、僕が歩いているこの道は、ほんとにアスファルトの小さい……
幅2メートル、3メートルぐらいの道、なんですけども、
普通の路走されている、でもちょっと古くなっている道路で、
けっこうひび割れがいっぱい見えます。
ひびの間には雑草もちらほら出てきたり、
車が通ったあとの両輪のところ、わだちのところには、
その負荷がかかったような形で、ひびがずーっとつながっている。
そんな感じの道になっています。
未来の200年後の世界を想像したときに、
この「道」というものは、どういうものになっているんだろうなと思います。
アスファルトの材質ではないかなと思うので、
じゃあどんなものになっているのか。
材質はわからないけども、道の使われ方とか、
人が行き来する中に「道」というものは、どうしても欠かせないし。
道が、メンテナンスが悪いと、雨とか天候によって、
周りの地域社会にとっても、いろんな影響を及ぼせたりもするので、
道はしっかり、ちゃんといい形で整備されていく必要はあると思うだろうな、
と思ったりするし。
でも、その整備とかメンテナンスということも、
どれぐらいやられているかっていうものも、
常に人が手がけなければいけないものだと、あまりにも負荷が大きいし。
かといって、メンテナンスフリーになったときって、
あまりにも手がかからないもの。
それはほんとに、果たしてその地域や環境にとってベストなものなんだろうか、
っていうクエスチョンマークもちょっと出てきたりするので、
少しずつ人の手もかけながらも、
その地域やその土地、風土、社会にとって欠かせない「道」のあり方…
そういうものってどういうものがあるのかな、と感じたりします。
あまりきっちりとデザインされた直線形の道である必要は、
全然ないかなと思うんだけど、
だからといって、すべてがすべて人の手で管理されないといけない、
というわけでもないし。
そのあたりのバランスというものを常に意識しながら、
人間が自然の中で、バランサーの役割を通して、
人間としてこの地球に関わって、活動している。
その中において「道」っていうものはね、なんだろうね……。
今ちょうど、目の前の電柱のところにカラスが止まっていて、
鳴いたあとに飛び去っていったんだけど。
カラスたちはね、道は必要ないんだけどね。
でも、空が広くて明るいこと、
何も遮るものがない、豊かな自然に囲まれていること、
それが彼らにとっては大切な環境だろうなと、思うし。
結局それは、人も住みやすい環境になるとは思うので、
なんかそんなことを考えながら、
この八ヶ岳の道の上を歩いたりしています。