食・自給・コミュニティ、そして生産と贈与
アグロエコロジー会議のメモの最後として、
これまでこちらで記述していなかった各セッションから、
キーワードとヒントを書き出します。
食・自給・コミュニティに関する話題として
- 人が集まる中心に「食」がある。
- 生産者と消費者の垣根なく食べものと近しい場所にいてほしい。
- コミュニティは私有から共有への動き。
- ひとつでも自給すると、それが食卓でスペシャルになる。
- ロシアのダーチャ(農地付セカンドハウス的なもの)での農業栽培による自給率の高さ。
- 子どもの頃から種をまく、土に触れる。
- 「土」は命の源であるという認識から「土」を豊かに。
- 「命」というキーワードによって「食」と「農」が繋がる。
先日の話「天邪鬼とはすることもしないこともできる力」でのパーティーのように、
人が集まる場所に「食」があることの大切さというのはとても感じます。
「食」が人が集まる場所にあるだけで、その場の雰囲気は変わりますよね。
自分で作った果物でも野菜でも、それが一つでも食卓にのぼると
「スペシャル」になる、というのはとても実感がわきます。
自給を始めてみようか、という気持ちにさせてくれます。
ロシアのダーチャは、週末の別荘というだけでなく、
どちらかと言えば日本の家庭菜園に近いイメージのようです。
実際、経済危機になったときでも食べるものに困らなかったのは、
ダーチャによる自給率の高さのためだそうで
ジャガイモや野菜などは国内生産の8割以上がダーチャによる生産らしいです。
(参考:ロシアの農地付き別荘「ダーチャ」の魅力とは?)
「土」の重要性はりんご農家の木村秋則さんの本などを読んで知りました。
特に自然栽培は「土の本来持つ力を引き出す農業」ということで、
種とともに土の重要性が語られています。(参考:自然栽培とは)
教育として土や自然に触れることは人間の治癒力向上にもなりそうですし、
子どもと自然の関係は、また別に書いてみたい話です。
自給と生産、その先に見える贈与経済について
- 誰かにあげる(贈与する)ことで生産者になる。
- 自給からさらに他給(他人へあげることで違うものが返ってくる)へ
- 与えられて生きていること。生と死、継承は贈与であること。
- 与えるもん勝ち。
- もらった時に「借り」という意識が芽生え、借りを返すのは当たり前。
でももらったものと同じものを返すのでは、そこで贈与関係が終わってしまうので、
いくらか「多め」もしくは「少なめ」で返すことによってコミュニケーションが続く。
生産者とは単に農家のことではなく、
誰かにあげることで生産者になれるということはいい驚きでした。
自宅で自分がつくった食物がスペシャルになるだけでなく、
それを他の人に分け与えることで自分が生産者になってしまうということは
農業の豊かさを示しています。
与えて生きることというのは、都市生活者にとって
人との関係が薄ければ薄いほど、
純粋に与えることが行為から失われているように感じます。
あったとしても、贈与がお返しの要求を正当化する手段と化しているとかでしょうか。
消費者として生活することは、対価としての金銭を渡すことで
常に要求する側のままにとどまることなのかもしれません。
現代に対しての指摘
- 自分たちでできることが減り、お金でしてもらうこと、モノを買うしかなくなった。
- 全ての外注・委託してしまった時代。
- 食べてるだけでいいのか、という自尊心のなさ、消費者・都市生活者の傾向。
- 経済やお金に絡まってしまうと雑になる。
人と人、ものとの関係が生産から離れてしまっていて
消費者として生きることしか知らない状況は、僕自身がこの勉強会で痛感したことです。
また、「経済やお金に絡まってしまうと雑になる」ということは、
儲かるかどうかという判断基準が上に来てしまうことによって
相手のことを人として考えなくなること、
それは結果的に仕事そのものの精度、丁寧さに表れてくる
と考えられるでしょう。
とても単純なことですが、
人に喜んでもらうこと、与えることの喜びを知ることは
仕事におけるプロフェッショナルな態度、姿勢、精度ということなのですね。