内山節さんによる了解しながら生きていること
2020/12/19 真庭なりわい塾が主催するオンラインセミナーからのメモ。
真庭なりわい塾オンライン特別セミナー「アフターコロナを生きる、未来のあなたへ~7つの視座から明日を生きるヒントを探る~」
第4回:コロナ禍に改めて問う農山村の価値
講師:内山節(哲学者)
より
※太字・下線はニッタの個人的見解です。またメモによる文章を読みやすくするため、多少の言葉遣いを追加している場合があります。ご了承ください。
※敬称略
(内山)
コロナ禍において、「国民」という言葉、政治家から発せられている。だがその「国民」はどこにいるのか?
多様な人達がいる。多様な人の暮らしがあるだけ。
農山村として捉えている農山村はどこにあるのか。それはない。
上野村は上野村でしかない。真庭市は真庭市。
(※内山節さんは、東京と群馬県上野村とで生活をされている)
自然も、人々がたどってきた歴史も違う。日本中すべてそういうもの。だから
一部地域で雪が大変という、雪が積もった中で人々がどんな暮らし方になるのかは、それぞれの場所で異なる。
都市と農山村という言い方が適切ではなかった。
東京の暮らしであっても、港区であったり府中市などがある。北海道から沖縄まで多様な農山村が存在する。
東京の暮らしと、真庭市の暮らし、どっちがということしか言えない。
戦後のイデオロギーに汚染されすぎている気がある。
村の肩苦しさから大阪や東京に出てきた人は、何をしているか?そうした都市でサラリーマンをしているというが、サラリーマンのほうが農山村よりもっと息苦しさがある。
農山村の暮らしでは、労働の内容については介入しない。
生活の仕方とか、一定の取り決め(歴史的な)理由を聞いてみれば「なるほど」と言えるものだったりする。
都市には地域社会がないので地域社会のルールはできようがない。労働の介入によって、不当な介入がはびこる。
都市のほうががんじがらめに管理される。労働時間を超えた時間だけしか持たない。
農山村の肩苦しさと都市の自由は、戦後のイデオロギーにすぎない気がする。
(渋澤:真庭なりわい塾長)
まず自然がある。自然に合わせないといけない。(特にそこでものを作る人達)そこに併せないとしょうがないとみんなが同意している。
それが煩わしいことなのかどうか。(という人もいるが)
何を作っていても、誰かに見られる。ひっそりこっそり生きることはできない。他の人達の多様性に合わせることは当たり前。自然の中に自分という人間を合わせていくという生き方であり、煩わしいとは違う次元であると思う。
(司会)
買う暮らしと作る暮らし。都市のしんどさ、ものが髙い、家賃が高い。来月から払えない。浮浪者になるという不安がすぐにあるが。
(内山)
都市に自由があり、田舎に自由はないという言い方をされてきたが、
上野村の暮らしでは、いつでも鳥の声が聞こえる自由、
スズメバチの巣後にヤマネが住んでいたという自由、
そういう世界の中に自由さを感じる。
そういう自由感は年々強まっている。
今自分が欲しいのはどういう自由なのか。
都会はお金持っている自由だけでしかない世界。
田舎では自由がないどころか、ここでしか手にすることのできない自由がいっぱいあるという実感がある。
お金で買ってこそ自由が手に入るという価値観にだんだん圧迫感を感じている人たち、格差で追われている、都会の限界が意識せざるを得なくなっている、今の時代。
(渋澤)
資本主義、貨幣経済、経済を中心とした価値観、貨幣の量はリーマンの5〜10倍、バーチャルなマネーに変わると、今回のコロナでも飲食や配送、観光業、ほんとに苦しい人たちのよこで、金融や他の業界ではバブルになっている。
貨幣経済の曲がり角。
経済をベースにしない生き方、新たに自然の中で作ろうという価値観。
都会に住んでると、「田舎の自然の中で豊かな都会の暮らしが実現できます」となるが、そうじゃなくて、
安心も自由も豊かさも、全部お金に換算される暮らしじゃなく、別の要素を自分たちの暮らしに作っていこうとする方向へ。
(内山)
江戸時代、経済指標はないが、全員がもっといい仕事をしようとしていた。
今GDP増やすために仕事が悪くなっていく。GDPの増減は私たちの暮らしの指標にはならない。もっといい仕事をしようとか、もっといい社会を作ろうとか、もっといい地域を作ろうと、みんなしてやると、いつの間にかGDPも増えているという状態に戻りたいと思っている。
私たちの指標とは何か。企業は企業なりに助け合っていく、場作りをしていけば売上につながっていく流れ。売上増やすために雇用を悪くすることは本末転倒。
このような状況をコロナ禍が促進してくれればよいが。
(司会)昔から積み上がってきた歴史のある風景・自然や先人とのつながり・無縁社会と言われる社会でどうつながりを取り戻すのか
(内山)上野村の話。住んでいる家は、譲ってもらってすぐ住めるようになっていた、目の前にある道でも、村の人たちの暮らしによって長い時間かかって作られた道だということがわかる。
電気を使えるようにしてくれた先人たちがいる、水も湧き水から引っ張ってきた。畑も同じ。知らない昔の人たちが基盤を作ってくれた過去の歴史があって、今の自分がいるのが見えるのが田舎の暮らし。
都会は、絶えず作り直しているエネルギー。
先人たちが作ってくれたものを継承するエネルギーが田舎。いつの間にか、村の人たち、自然とのつながりができて、自分にとって心地が良い、大事にしたいというつながりから。
村から一歩も出たことがないというお婆さんが、この村は日本一いい村だという。これは近代人の発想(比較検討)とは違うもの。村で生まれ、村に居続けた人、ここに住んでいるがゆえに、ここが日本一いいといえる村。
選ぶものでも選択するものでもない。選ぶなら選択肢は無限に増える。永遠の場所探しのロジックからは最良の場所はない。ここにいることの了解、了解しながら生きている。
生まれてきた自分の環境の了解、これでよかったんだという了解。
亡くなることを、死が近づいてきた時に、了解できるなら幸せなもの。
仕事においても、あらゆる選択をして選んでいるわけではなく、了解をすることで天職のようになってくる。了解をしながら充足感などを得てきたのが人間。
生まれた場所を了解し、移動することを了解して生きている。その中に関係のあり方、関係の了解。
発想は明治以降の人間、近代化=欧米化した。
ものの奥に、それ自体というような、何か実体があると。それを探して科学が発達した。物質の奥には〜が、その奥には〜が・・・その奥には固有の実体があり、それがもとになって存在しているという発想(ロジカル)。
日本の伝統的な発想では、関係が実体をつくると考えてきた。一人の人間にはいろんな関係がある、いろんな関係が積み上がっている。その関係が作り上げた実体が「僕」であるという発想。仏教思想が定着した、本質は「空」、捉えられない。関係ができたことによって、私が発生し、あなたが発生する。関係が親を作り子を作る。教師と生徒も同じ。
そのへんにどう戻るか。先に関係ありき。関係ができなくなっているから、実体とする個々の人間の苦しさに直面しているのが、今の状況。
どういう関係を作っていけばいいのかが今後考えていくこと。
(渋澤)都会の人は農山村を不動産物件として見てる。外形化されてない、言葉になっていない無縁の広がりとの関係が持っている、基盤を共有するから村が成り立っている。
それを感じて生きていくことが、社会を変えていくキーワードだと思う。
(渋澤)何が自分にとって心地いいか、周りと心地いい関係を作っていけるか、人と地域と自然とで見つけていくことを歩んでいける時代になった。
(内山)歴史の変わり目にきているという気がしている。
どんなふうに変わっていくか、いろんな変わり方がある。変化をある意味楽しみながら、一面では警戒感を保ちながら、その変化の中でなにが作れるか、という時代。都市部では関係性が細くなっている、そのことで生命活動が弱ってしまう方向に。
太くできる関係はどこにあるか、自然や地域社会、今までよりも太い関係、歴史や文化との関係。細く閉じこもるのではなく、何で太くできるのかを皆で考えていく。