株式会社的な国家運営への指摘について

内田さんの「国家運営が株式会社であってはならない」

という話が「街場の戦場論」には出てきます。

「国家運営の株式会社化」を望むような人たちは、従来の民主制や立憲主義といった、

意思決定を遅らせるためのシステムという効率性の悪さに耐えられないし、

経済成長することだけが目的なのだと指摘しています。

彼らが独裁的な政体を民主制よりも好ましいと感じるのは、そのほうが経済活動にとって効率的だと信じているからです。国家は株式会社のように組織されるべきであるというのが自民党安倍政権の考えです。(P135)

 

「成長に特化した会社経営」はありうるけれど「成長に特化した国家統治」というものはありえないということです。

株式会社がどれほ劇的な失敗をしても、それがもたらす被害は「株主の出資額」を超えることはありません。株式会社は有限責任のシステムだからです。失われるのは「株で儲けようと思った」人たちの投資分だけです。だから、経営者は「株を買ったのはあなたがたの自己責任だ」で済む。でも、国民国家はそういうわけにはゆきません。失政のツケは「出資した分」では済まない。国民国家は無限責任組織だからです。(P157)

 

 第一の理由は国民国家は無限責任体であり、株式会社は有限責任体だからです。

そして第二の理由は、株式会社というのは経済成長過程においてしか存在しえないからです。(P161)

 

国民国家の目的は「成長すること」ではありません。あらゆる手立てを尽くして生き延びることです。あらゆる手立てを尽くして国土を守り、国民を食わせることです。国民国家は文字通り「石にしがみついてでも」生き延びなければならない。(P162)

国民国家は取り返しのつかないものであり、過去を継承して未来への責任を担うものです。

成長することが生き延びる唯一の方法としか考えられない、

そうした思考態度そのものがすでに株式会社しか知らない頭脳なのでしょう。

もっとも今の日本が戦前の日本帝国憲法下の国体をそのまま継承した自覚のない国体だとしたら、

未来に対する責任など感じずにいるのも当たり前かもしれません。

自分たち自身も含めて。



他方、まるで会社のような地方自治体、の記事を以前読んだ記憶がありました。

それは島根県海士町(あまちょう)の記事でした。

「ないものはない」離島・島根県海士町に人が集まる秘密とは? 「役場は住民総合サービス会社」という山内道雄町長の改革
http://www.huffingtonpost.jp/2013/11/07/ama_n_4232760.html

 

役場を「住民総合サービス株式会社」と呼んで認識を変え、

大胆な行財政改革と産業創出に取り組んできた町の取り組みが紹介されている記事でした。

山内町長は、離島が生き残るために産業を立ち上げ「島をまるごとブランド化」する戦略をとった。「では、そもそも島が生き残るとは何か。それは、この島で人々が暮らし続けること」という。そのために必要なのが、「地域活性化のための交流」。

町長は社長、副町長は専務、管理職は取締役、職員は社員で、税金を納める住民は株主で、サービスを受ける顧客でもあるという。

 

数年前には、地方自治体では無駄使いでばかりで借金ばかりとか、

税金の有効な活用ができていないことなど、よくニュースでやっていたと記憶していますが、

 

この海士町の例では、従来の役所体質ではできなかったことを

やろうとして改革していったら、そう言われるような意識になっていったのでしょう。

「島をまるごとブランド化する戦略」という話も

自治体と島に暮らす人たちが生き延びるための戦略がそれだったということで、

初めから株式会社化による効率化を求めていたとは違いそうです。

もし、この戦略で生き延びることが難しくなれば、別の方法を考える、

そうした柔軟性があるのであれば、大丈夫なのかもしれません。

(すでに株式会社というよりも非営利組織のように思えますが)

 

自治体自体にせよ、国民国家にせよ、

その土地、その国に暮らしている人たちとともに存続すること

ここで人々が暮らし続けることを考えていること

それが先に挙げた内田さんが指摘する、国民国家を株式会社化を目指す人たちとの「違い」かもしれません。