「なめらかな社会とその敵(著:鈴木健)」を読み始める
「なめらかな社会とその敵(著:鈴木健)」を読み始めたのですが、難しいですね…。
でも全体的には色々と興味深いところがでてきそうな感じ。
少しずつ気になった箇所を抜粋しながら読み進めてみます。
オートポイエーシスが興味深いのには、以下の4つの理由がある。
第一に、生命とはなにかという問いに対して、ある程度明確に答えていることである。特徴をどこまで削れば生命でなくなるかのか(必要性)、逆に何がなくても生命たりえるのか(十分性)、そのぎりぎりのところがオートポイエーシスなのである。たとえば、内と外を分ける膜のようなもの(単位体を実現する位相的領域)がないハイパーサイクルは生命ではない。再生産(生殖、細胞分裂)や進化がなくても生命である。オートポイエーシスの定義によって、こうした議論を理路整然と行えるようになる。
第二に、生命がもつ目的志向的な性質の無限退行問題に答えていることである。生命はどんな目的があるのか、あるいは「私の」人生の目的は何なのか、人類は問い続けてきた。あるときまで目的だと思っていたものは、しばし考えると別の目的のための手段であるように思えてくる。その目的も、また別の目的の手段であるかのように思えてくる。こうして人々は、生命や人生の目的を探す無限の旅にでていくことになる。オートポイエーシスは、生命が結局のところ自己維持するネットワークにすぎないといっており、無限退行の問題を、生命は自分自身を維持するシステム以上でも以下でもないという自己言及性によって、目的と手段が一致してそれ以上遡れないところを明らかにする。これによって、自分が生きていることの意味が、生きていることの外部に別にあるのではないかという蒙昧な探求の旅から抜け出ることができるようになる。こうして、生きていること自体が無根拠であり無意味であることを知り、かといってニヒリズムに陥らず、生きていることそのものに意味があり謳歌してもよいのだということを教えてくれる。
さて、ここまでで、理由の4つのうちの2つですが、疲れた…(笑)
僕はこの第二の理由にある、「生きていること自体が無根拠であり無意味であることを知り、かといってニヒリズムに陥らず、生きていることそのものに意味があり謳歌してもよいのだということを教えてくれる。」という箇所がとても気になります。
こう言えるのは、オートポイエーシスというものが、「生命が結局のところ自己維持するネットワークにすぎないといっており、無限退行の問題を、生命は自分自身を維持するシステム以上でも以下でもないという自己言及性によって、目的と手段が一致してそれ以上遡れない」からだというのですが、僕にとってはその結論の部分が大切です。
つまり、
生きていることに理由なんかないんだよ。
ただ、今、僕が(君が)生きているってことだけが大事なんだ。
ってことです。だから生きていることをありのまま受け入れていこう、と。
僕もこうした世界観には強く共感できます。
ですが、これを言葉として、いや世界観として受け入れて、僕自らが述べたり書いたりするために、別に「オートポイエーシス」の「生命は自分自身を維持するシステム以上でも以下でもないという自己言及性」への理解が必要なわけではもちろんありませんし。同じ結論にたどるにも、色々な経路がありますから、それはもちろんそうですよね。
それよりもここ、
「生きていること自体が無根拠であり無意味であることを知」る
これは、少し怖い表現に思えませんか?僕はいまだにそう思います。だって生きていることってもっと色んな意味(使命、運命、勘違い)も包含できるから。そんなに焦らなくてもいいんじゃないかな、と思います。
僕は生きていることには「意味」も「理由」もあると思っています。それはすこし変だけど、「生きている」ことがその意味や理由を示していると思っているから。つまり生きていることが「意味」「理由」を問いつづけ、またその解決を体現している、と思うのです。
ちなみにこの話のもととなっている「オートポイエーシス」ってなんじゃい?ってことですが、同書にはこう書かれています。
ヴァレラら(注:フランシスコ・ヴァレラとウンベルト・マトゥラーナの生物学者)は、一般的な概念として以下のように定義されるオートポイエーシスを提唱した。
「オートポイエティック・システムは、構成素の産出(交換と崩壊)の各プロセスがひとつのネットワークとして組織化(単位体として定義)されたもので、そのネットワークは以下のような構成素を産出する。(1)各構成素は、相互作用や変換を通して間断なく、前に構成素を産出した、プロセス(関係)のネットワークを再生成し実現する。(2)各構成素は、その空間における具体的な単位体としてのネットワーク(機械)を構成する。そのようなネットワークとして単位体を実現する位相的領域を特定することによって、その空間で各構成素は存在する。」
F. Varela, Principles of Biological Autonomy (Varela, 1979)
ね、分からないよね(笑)。図もあるんだけど普通には分からないように書かれているような気がします。たぶんこの人、今後はよりわかりやすく同じことを書くんじゃないかな。
ちなみに松岡正剛の千夜千冊に、この原文の評論が載っていました。長いけどまだなんとなく分かりそう…(全部読んでないけど)