迷ってるなら行ってほしい。ヴィパッサナー瞑想合宿体験レビュー

迷ってるなら行ってほしい。ヴィパッサナー瞑想合宿体験レビュー

マインドフルネス、という言葉が広く浸透している昨今。

「瞑想にはいろいろと効果があるのは分かったけど、

自分ひとりでやっていてもなかなか習慣として続かない」という方や、

「ネットでヴィパッサナー瞑想合宿というものを見つけたけど

イマイチ分からず、行こうかどうか、悩んでいる」そんな方へ

このレビューが助けになれば嬉しいです。

 

ヴィパッサナー瞑想とは、

古くからのインドで伝えられてきた瞑想法で、

ゴータマ・ブッダが悟りを開いた際に行われていた瞑想法として知られる瞑想法です。

ヴィパッサナー (Vipassana) は、物事をありのままに見る、という意味です。インドの最も古い瞑想法のひとつで、2500 年以上前にゴーダマ・ブッダによって再発見され、普遍的な問題を解決する普遍的な治療法、 生きる技として、多くの人に伝えられました。 宗教とはかかわりをもたないこの技は、あらゆる心の汚濁を取り除き、解脱という究極の幸福を目指しています。(日本ヴィパッサナー協会)
https://www.jp.dhamma.org/ja/reference/what-is-vipassana/

京都と千葉には、この瞑想法を正式な指導者から学ぶことができる

10日間に渡る合宿が行われています。

僕は今年の10/10〜21までの合宿に参加して、

このヴィパッサナー瞑想を体験してきました。

 

参加者は男性と女性ともに30名以上、

男性の方は年代も20代から70代らしき方まで多彩でした。

もちろん外国の方々も数名いられました。

 

この10日間の合宿期間では、

敷地外に出ることなく、合宿地に留まること

外部とのあらゆる通信手段(携帯・スマホ)を絶つこと

他の参加者と会話などの一切の交流を避けること

といった事柄や

ヴィパッサナーの道徳律(シーラ)の5つの要素を遵守することが求められます。

参考:https://www.adicca.dhamma.org/ja/code/

 

また、本やノートとペンなどの筆記用具も所持してはいけません。

ひたすら純粋に、瞑想することだけに向き合うことを求められる10日間です。

 

決して誰もが気軽に参加できるようなハードルではないため、

参加にあたっては、繰り返しそれらの事柄を理解し、守ることができるか問われます。
(参加申し込み時、コース当日受付時、コーススタート時)

 

ですが、もしヴィパッサナー瞑想に興味を持ち、

10日間というまとまった休暇がとれるけれど

参加を迷っているのであれば、

ぜひ参加されることをおすすめします!

 

この合宿を通じて何を受け取るかは、個々人のコース期間中の過ごし方次第ではありますが、

なにかしら得るものは、必ずあると思います。

もちろん同じく効果もあります。

自分にとっては、ヴィパッサナー瞑想で得た

現実という考え方、

感覚というものの捉え方、

およびそれらへの対応、

これらの認識は、瞑想そのものと共にたいへん大きな財産となりました。

 

この10日間のコースでは、

同じ瞑想方法をずっとひたすら続けるわけではありません。

特に最初の6日間ほどは、

日々内容が変わるので、飽きてしまうことはないと思えます。

そしてこの合宿では、

ヴィパッサナー瞑想以外の、二つの瞑想方法も学ぶことができます。

それらもとても有効です。

 

10日間という期間、

ひたすら座って瞑想する日々になるわけですが、

もちろんそれまでこのように座り続ける生活を送ったことのない

多くのはじめての参加者は

日々足のしびれとお尻の痛みとの戦いでもあります。

 

自分もどのような方法で足を組んだら自分にとってより我慢できるかと

朝昼晩考え続け、組み換え続けながら過ごしました。

ある程度これらの痛みを我慢することも

「忍耐」という徳を積む修練として捉えられますが、

耐えられない痛みを抱えていては瞑想に集中できませんので

できるだけ集中できることを主眼において、よりベターな座り方を探ることが必要です。

 

男女合同で瞑想を行う瞑想ホールでは、

いくらかクッションや座る高さを変えるウレタンマットのようなもの、

そして辛い人には座椅子などがいくらか用意されていますが、

クッションや座椅子には数が限られているので、

用意できる方は自身で用意した方がいいでしょう。

自分は無印で購入したネッククッションを持っていきましたが、

伸ばして使ったり、折りたたんで2重にしたり、

つなげてお尻の中心を避けるように使ってみたりと大活躍でした。

フィットするネッククッション (新)杢黒・約16.5×67cm

 

このヴィパッサナー瞑想は、古代インド仏教の流れを汲む教えなので、

宗教としての要素は少なからずあります。

新しい教えを受ける時のパーリ語での請願、

瞑想が終了する最後の唱和、

そして日々の夜に行われる講話など。

 

人によって受け取り方は様々ですが、

ヴィパッサナーは、どう受け取るのかという個人の裁量を最大限に尊重しています。

そのためあまり神経質になることもないと思います。

まして「洗脳」ということはありえないと体験を通して感じます。

ただし、

「世界は苦悩に満ちている」

「そこから真に根絶できる方法こそがヴィパッサナーである」

という話全体の構造には、

保険の勧誘に似た構造、

「◯割の方がこのような病にかかっており、あなたも危険」

「その心配を少しでも和らげる方法がこの保険です」

と似通っているとも言える気がしました。(あくまでも個人的な見解です)

 

また講話では、

インド仏教の用語ばかりが出てくる場合もあるので

内容がわからずに飽きてしまうことがあるでしょう。

この点は本当に残念でなりませんでした。

 

講話の内容は、ヴィパッサナー瞑想にとってとても大切なことが話されています。

ですが

一部では仏教用語ばかりでまったく意味が分からなかったり、

日本人には文化的に違和感を感じるたとえ話であったり

そのたとえ話の内容が古かったり(「皆さんはオイルショックを覚えているでしょうか」等)。。

 

もちろん説教臭い内容もありますが、

この講話の時間では、多くの参加者が飽き飽きしている空気が漂っていました。

協会側にはこうした点だけでも改善できるよう、

講話のブラッシュアップに対応していただけることを願っています。

 

このヴィパッサナー瞑想は

悟りを開くことを最終目的としている瞑想法です。

ですが、そこまでの目的を抱かないと教えてもらえないものでもありません。

間口は広く開け放たれています。

 

合宿参加へのハードルは決して低くはないと思いますが、

この体験談が、参加に悩まれている方の一助になれば嬉しいかぎりです。

 

 

日本ヴィパッサナー協会:https://www.adicca.dhamma.org/ja/

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