#002: 未来の世界における人間の役割

『未来の世界を想像するチャンネル』です。

今日は第2回なんですけども、テーマをどうしようかなというところで。
まだまだ話したいことはいっぱいあるんですけどね。

基本的に、僕が描く未来の世界の中で
「人間がどういう立ち位置にいるのか」
というところを、もう少し説明してみようかな、という話にしようと思っています。

僕は、200年後という時代設定で話をしてるんですけども、
じゃあその200年後っていうのは、人間がどういうふうに暮らしているんだろうか、
ということになるかと思うんですよね。

人間が中心となった今の世界

僕の中にあるのは、今の現代の人間が持っている“人間中心の世界観”、
言えば、地球の大地だったり、動物だったり、植物だったり、
そういうものすべてが、経済活動とか、金銭とか、お金儲けとか、
それだけじゃないにしても、そういった活動の中心にあって、
地球のリソース、資源、そういったものが“材料”として扱われている。
人間がよりよく暮らすために、っていう名目でね。

どの人間が、っていうところはさておき、
それを消費して、生産して、より高く買ったり、より高く売ったり。
そういう消費行動の中で世界がまわっている。

だから、基本的には人間社会において、
「それがどういう価値を持つのか」ということがすべてのテーマになっていて、
地球の環境も、あらゆるものがそこに“利用されている”。

で、「これをどう使おうか」とか、「これが人の暮らしにどう役立つのか」とか。
もちろん、いい面もあると思うんですけど、
基本としてはやっぱり“人間中心”に世界が回っている。

「この地球やこの世界は人間のものだ」っていう、
それが当たり前に思われている世界。
それが今の世界なのかな、と僕は思っています。

200年後の人間のあり方

で、一方で、200年後の世界というのは、
もうそういうところからは離れているんじゃないかと思いたいし、
むしろ、僕は今のその“人間が中心にいる世界”っていうのには、
あまり興味がないので。

人間が中心になっていない世界っていうものを描きたい。
そういう世界をイメージしたいな、と思っているんです。

それは何かというと、
人間がこの地球に生まれてきた“いちばん最後の生物”だ、
という話があって。

人間よりも前にいた動物だったり、植物だったり、
プランクトンとか微生物だったり、昆虫だったり。
そういう、すでに僕たちの登場の前にいた生命たち。

いわば、僕たちの“先輩”なわけで。
そういった自然のものたちが、それぞれ豊かに、継続的に暮らせるような環境を、
メンテナンスしたり、維持していく。

もしちょっとバランスが崩れたなと思ったら、
少しだけ手を加えて、そのバランスを整える。

そんなふうにして、人間が“バランスをもたらす存在”として地球にいる。
そういうふうな世界で生きている。

未来に生きる人間の一人ひとりが、そういう感覚を持っている。
そんな世界ってどうなんだろうなぁ、って、すごく感じるんです。

木内鶴彦さんの本からの引用と気づき

で、このアイディアをいただいたのが、ずいぶん昔に読んだ本なんですけども、
木内鶴彦さんの本、『臨死体験が教えてくれた宇宙の仕組み』っていう、
けっこう古い本なんですけども、そこに書かれていたフレーズから、ちょっと知ったんですね。

そこには、ざっくりとこういうことが書かれていて、

最後に生まれたキャラクターが人間です。なぜ人間が生まれたかというと、生き物が本能だけで生きていると、バランスがとれなくなってくるからです。そのアンバランスを改善できる役割をになったのが、本能だけでなく、創意工夫ができる人間だったのです。(P135-136)

いわば、人間がいない、動植物だけの世界であれば、
ちょっとバランスが崩れやすい、最適化できない、
そういった存在になりやすいんだけども、
人間という存在があることによって、
そこにちょっとバランスが生まれる、ということなんじゃないかっていうところですね。

いつかは太陽系や地球も、終わりを迎える日が来るでしょう。ゲームオーバーの日がやってきます。そのときまで、地球の環境を整えて、この生態系を維持し、楽しく生きられるようにするために、人間というキャラクターがつくられたのです。
つまり私たちの使命は地球の生態系のバランスを整えることにあります。そのために、一番最後に生まれてきた新参者なのですから、そのことをよく認識し、先輩の生き物たちのために一生懸命働かなければいけません。(P136)

っていう文章があったりします。

このあたり、僕なんとなく、ずっと思っていて。
いいフレーズだなと思って、記憶に残ってたんですけども、
200年後をイメージするときに、
こういうふうに“人間中心の世界”から離れて、
バランサーとして人間があるっていうような、
そういうあり方って、どういうふうに地球が、世界が変わっていくのかなー、
って考えたりするんですよね。

自然の見え方

そういうふうに見えてくると、
今、整えられた人工的な公園とかね、
自然公園とか、いろんな公園だったりあると思うんですけど、
そういうふうな景色っていうのも、少しだけ様子が変わるのかなと思ったりもします。

今はやっぱり、人間が(利用者・訪問者として)訪れて、
どういうふうに見えるのかみたいなところはあるのかなと思ったりしますけども、
人間がちょっとその役割から一歩引いたときに、

そこにすでにある土地のあり方、意味、
またそこに生きる生物とか、暮らす存在、

一つひとつの自然ですね、そこが積み重なって、生命の織りなす、一つひとつの層、
そういったものが時間とともに蓄積されているような場所になっていて、

ちゃんとその堆積された時間とともに価値を求められて、
人間がそこに少しだけ手を加えてあげる。
だから、ささやかに参加するぐらいの形なのかなと思ったりはします。

自然と人間の関係についての考察

あまりにも混沌としていて、ぐちゃぐちゃになっているところが自然だ、と思わないし、
放置していればそれが自然っていうのは、僕はまた違うのかなと思いますし、
必要なところには、ちゃんと人間の手っていうのは加わらなければいけないと思う。

また、これまでこうやって人間の手が本当にいろいろ加えられて、
たしか地層的な世界のところに、人間が影響を及ぼしてくるような世界っていうふうな話、
(ちょっと今、言葉出てないけど、なんかそういうふうなものの見方っていうのもある)

今の地球には、もうすでにしっかりと人間が爪痕を残しちゃっているので、
200年ぐらいで果たしてそういった過去の堆積、爪痕っていうものが消えるかどうか、
難しかったりもするのかなと思ったりもするけども、
少しずつ何かしらの力によって、そういうものが取り戻されて、
調和されているような状態、そういったものになっていくといいのかな、と思ったりもします。

 

「臨死体験」が教えてくれた宇宙の仕組み

木内 鶴彦 (著)
出版社 ‏ : ‎ 晋遊舎 (2014/5/26)
発売日 ‏ : ‎ 2014/5/26