内的世界を基にして創造している世界

世界をそれぞれが、それぞれの内的世界を基にして創造しているということについて。

確率波を浴びた《起こりうる出来事》の内、その確率波の基である創造的意識の精神的ゆらぎに適合するいくつかが、確率波の電荷量や性質に応じて結晶化され、四次元的なホログラム映像として出現する。

これはまさにぼくが飛行機を飛ばすときにやっているのと同じだ。心のベクトルをどこに向けるか。そして映像をイメージしてシュミレーションすること。ぼくが自己暗示に掛かったとたん、思考の粒子がその・・・《確率波》ってものの中にすっ飛んで行く。この本を書いた人間はそんなつもりはないだろうが、ぼくたちが毎日やっている催眠術や暗示、引き寄せの法則と同じ話をしているんだ。

この《想像子仮説》がどれほど説得力を持つかは、個人個人の体験によりそれがどの程度まで実感できるかで異なるが、本仮説に基づいて次のことが予測できよう。すなわち、我々が意識の焦点をプラスに向け、人生を肯定的に捉えようと意図しそれに集中する時、またそのようにしてこれらの価値観を思考に根付かせる時、プラスに荷電した大量の概念子が創り出される。そこから我々にとって有益な確率波が次々と生み出され、その結果、我々にとって役に立つ《起こりうる出来事》―もし別の選択をしていたら顕在化し得なかったであろう出来事―を現実としてたぐり寄せる、ということである。

逆もまた然りで、マイナスの否定的な出来事もこのようにして起きる。プラスでもマイナスでもないゼロのいわば中性の出来事も同様である。我々は惰性的または意図的に、無意識にまたは目的意識を持って、すでに具象化した外側の世界から自分の内面のあり様と最も共鳴し合うものを選び出す。同時に我々は自らも外側の世界へと、具象化を行うのである。

ぼくたちがいったい何のためにわざわざ睡眠状態で生きているか?それは世界を創造するためだったのだ。ぼくたちの内的世界を、外の世界に具現するためなのだ。(P141~143 ヒプノタイジング・マリア)

これは、世界をどう見、どう考え、何を体験するか、それをどう受け取るか、ということだと思っています。

僕は、ニーチェの本による影響以降、「世界は解釈によって成り立っている」と考えていますので、解釈の仕方がさらに現実の受け身だけではなく、主体的な立場で人となりの現実というものが創りだされるということに、とても面白味を感じています。といってもそこから一足飛びに現実をコントロールする、望むままの現実を作り出すということまではいくには、慎重に捉えています。

また引用続きます。