AIT ARTIST TALK#20
今日の夜、AITというところが主催したトークイベント、「アーティスト? それともキュレーター?
AIT ARTIST’S TALK #20「キュレーションするアーティスト」スペインよりマヌエル・サイスを迎えて」に行ってみた。
仕事が遅いので途中参加となり2時間のうち1時間しか聞けなかったが、なかなか刺激になった。
アーティストのマヌエル・サイスという人は、アーティストとして作品をつくり、キュレーターとしてイベントを企画実施している人らしく、どのようなものをやったか、やってるかの話くらいしか聞けなかったが。
でもそのあとの質問タイムにてその人がキュレーターを行うことについての質問をいろいろ答えてたとき「自分はあくまでもアーティストである」という言葉から、趣旨が解けた。
この人は手法としてキュレーターと呼ばれることをしているだけだってこと。
画家が絵の具や筆を使うように、この人は一つの作品を制作するに当たってキュレーターと呼ばれる活動をとおして制作を行っているにすぎないと。だからその企画に参加する作家や作品も自分の作品(企画)の素材にすぎないんだ。
彼がアーティストとか、キュレーターとか肩書きで区別されることは無意味だ。(彼はアーティストとしか言っていなかった。それは自らアーティストとは何であるか、この答えと表現欲求により行動をおこしているからと言えるのだろう。だからむしろキュレーターとして区別することが無意味なんだろう。)
コラージュが既成の画家の価値観(手がけるものから流通しているものを素材に)を変えたように?アーティストというモノを作るという存在価値観を、他の作家たち、作品たちを素材としての企画、実施として自らの作品を作る、という新しいスタイルだ。
これは解釈、考え方によってはアートの手法はまだまだ広がるんじゃないか、って予感すら抱く。人間の行為のなかでアートがアートとして確保しているのは未だに直接的に対象となる「モノ」を作ることしかない。この「モノ」の考え方、そして関わる「人間の行為」をどうとらえるかで、アイデアは湧く。
おそらく今後、ますますアーティストはそれ以外の仕事と捉えられていた手法(キュレーターとか)との境界は混合してゆくように感じた。
その時問われるのはますます、何を表現するか?ってことだろうな。