#005: 七世代先へ持っていきたい未来とは
『未来の世界を想像するチャンネル』です。
前回、時間についてお話をしたときに「七世代先」っていう考え方があるということを、
少しぼんやりとお話したままで終わっていたので、今日はその続きからいこうかなと思います。
七世代先のことをイメージする」っていうのは、
何の言葉だったのかというと、確認したらですね、
ネイティブ・アメリカンのイロコイ族の言葉にあるそうです。
どんなことでも「七世代先のことを考えて決めなくてはならない」という、
有名な言葉があるようですね。
たとえば、インディアン、ネイティブ・アメリカンの人たちの生活の中で、
何か決めごとをしないといけない。
食事のことかもしれないし、儀式のことかもしれない。
動物に関わることとか、自然に働きかけることかもしれない。
そういったときに、今の世代だけではなくて、
「七世代先のことを考えたうえで決めなくてはならないよ」と言われている。
そういう言葉、ということですね。
この言葉は、けっこう昔から有名で、僕も知ってはいたんですけど、
じゃあ「七世代」って具体的にどれくらい先なのかな、とか。
あと僕が話している「200年後」というのは、
だいたい何世代先ぐらいのイメージになるのかな、
っていうところを、ちょっと深く見ていきたいなと思っています。
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七世代はどれくらい先?
たとえば、ざっくりとした計算上の話なんですけども。
今2025年として、現役世代というのを考えると、
2000年に生まれた今25歳くらいの方、
それから1975年前後で50歳くらいの方。
そのあたりが、ざっくり現役世代といえるかな、というところ。
で、それが25年ごとに、少しずつスライドしていく。
そういうふうにイメージしていくと、
2050年になれば、今2025年に生まれた子どもたちが25歳になる。
2075年になれば、今0歳の子どもたちが50歳になっている。
で、僕が考える200年後っていうと、
西暦でいえば2222年とか2225年とか、そのあたり。
じゃあこの2225年に、現役世代が50歳、あるいは25歳になっているとしたら、
それはいつ生まれた子たちなんだろう?
たとえば、2175年に生まれた人が2225年に50歳。
2200年に生まれた子どもたちが25歳。

そう考えると、だいたい七世代か八世代くらい先の人たちが、
200年後の現役世代、という感じになるのかな、というイメージです。
25歳ごとに世代が移り変わっていく、
そういうふうに考えたときに、
ネイティブ・アメリカンのイロコイ族が言う「七世代先」というのは、
僕が描いている200年後の世界と、
けっこう近い未来を見ているんじゃないかな、という感じがしました。
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先の時間/世代を見つめる視点
実際、七世代先を見据えて何かを決めていくって、すごく難しいし、
なかなかイメージが湧きづらいけども。
でも、自然を相手にしていると、
目の前のものって、1日2日では変わらないし、
1年2年でもそんなに変わらない。
たとえば山とか、ゆっくり成長する木とか、
そういう自然を相手にしている人たちは、
50年、100年後の姿を見据えて森を育てていたりする。
だから、自然を相手にしたときって、
自然と“先の世代”を見るようになる。
一方で、僕らの多くは、今の世代、自分たちがよければいい、
せいぜい次の世代くらいまで、っていう感覚でいることが多いけど、
もう少し先に未来があったときに、
「どんな世界があるといいよね」っていうことを想像して、
そのうえで「じゃあ今の自分たちはどうありたいのか」
って見ていくのも、いいのかなと思ったりしています。
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200年後をどう扱うか
「200年後をイメージして、こういう世界になったらいいな。
だから今の自分はこういうふうにしよう」っていうふうになるのかな、
と思うかもしれないけど、
僕はあんまり、そういう“行動原理に落とし込むために”
200年後を設定している、っていう感じではないんです。
もちろん、それもひとつの生き方ではあるけども、
僕はもっと、もっと気軽に、
200年後を楽しくイメージしたいなと思ってるんですよね。
それって、単純に言えば、
「こうありたい」「こういう世界に行きたい」「こういう世界で過ごしたい」
「こういう世界はいいな」と思う——
そこをユートピアでも全然いいから、作り上げていく。
そのイメージを解像度高くしていく。
そうやっていくことで、いろんな人が未来の世界を描いていって、
その想像が重なっていくことで、少しずつそこに近づける。
そこを目指す人間、社会、世界、人類。
僕たちみんなが、そっちに向かえるようになるのかな、と思ったりしています。
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未来に持っていきたいもの、持っていかないもの
それこそ、国連が掲げるSDGsっていう言葉がありますけど、
ああいったものは目標にはなっているけど、
じゃあその目標が実現したあとの世界が、
どうなっているのか。
どんな生活があって、どんな人たちが、
どうやって暮らしているのか、っていうところまでは、
あまり想像されていない気がしていて。
僕がやりたい(想像したい)のは、まさにそこなんですよね。
どういうふうに未来を描くか。
今の問題点を出すことももちろん大事だけど、
「今の世界で選びたくないものは、選ばなくていいよね」っていうところ。
たとえば、政治闘争とか、人と人との争い、
国と国との争い、ジェノサイドとか。
そういうものは200年後には持っていきたくない。
じゃあ、もうそれはいらないよね、って。
未来に持っていかない。
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ありたい未来を描く
逆に、「持っていきたいもの」もある。
人と人が分かり合って、ゆっくり話して、
一緒に楽しく過ごしていく。
安心で安全な世界の中で、
一人ひとりが独立して、自分の個性を発揮していく。
そうやって世界に貢献しながら、
自分も楽しく生きていける。
そういう世界がいいなと思えば、
じゃあ、それは未来に持っていこうよ、って。
そういうふうにして、
未来のビジョンを深く、広く、
解像度を高めていく。
人類のアファメーション、というとちょっと大げさかもしれないけど、
なんとなくそういう形で、ありたい未来。
人間として、人類として「こうありたいよね」っていうところを、
しっかり持ちたいし、表現したいし、想像したい。
そういったことをしたいなと思っています。
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ドラえもんの世界の未来像
で、今ふと思いついたんですけど、
ドラえもんの世界って、あの時代にインパクトを与えたんだろうなと思うんですよね。
あれも、僕が生まれる前ぐらい、
たぶん1970年とか1960年代の終わりくらいの漫画だと思うんですけど、(*1969年に連載開始)
あの時代に「22世紀」っていう、すごい遠い未来を想像して描いた。
で、ああいう世界って、当時は“素晴らしい未来”っていうイメージを与えて、
その影響って、今の世界にも何かしら残ってるような気がします。
実際にはもう全然違う未来になっていると思うけど、
でも、そういうことはまた次の回でゆっくり話しましょうかね。